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野暮は嘘

一つの嘘をついてしまうと、その一つの嘘をつきとおすために約三十の嘘が必要になる。

そんな話をどこかで聞いた。あ、映画だ。椎名桔平主演映画だ。あと妻夫木聡でてた。中谷美紀がヒロイン。超つまんなかった。劇場で見たのに。ひとをばかにするのもたいがいにしろ。約十年前の映画だけどおれは未だに忘れちゃあいないんだからな。ひとをばかにするな。

話を戻す。

金言というほどかはわからないけれど、この言葉、よく考えたら別に嘘に限った話じゃなかった。

一つ本当のことを言ってしまうと、それは本当のことだから僕の思っている本当の通りに受け取って欲しい。だからちゃんと受け取ってもらうために約三十の本当を言いたくなってしまう。言葉を尽くす。何百字でも何千字でもつぎ込んで構わないからどうにかわかって欲しい気分になる。

それを人は二文字で「野暮」という。

ボールがひとつあればそれでいい。天気さえ良ければ僕と貴方はそれだけで良い休日の午後を過ごせるのだ。

それだけのはずだったのに気付けば炎天下の中で高校生が連日で二百球も投げ込んでいるよ。

そういうことが、往々にしてあるよ。しょっちゅうだよ。常日頃あるんだよ。

言霊が指すそれがこれだよ。

ズイショさんだよ。

迷信は迷信でなかなか馬鹿にできなくて科学的根拠があろうとなかろうとそんなことお構いなしに数百年も残ってるってことはそれを採用する実利があったわけで夜口笛を吹いても蛇はこないけど夜口笛を吹かないほうが良かったから今でもそう言われているわけなのだ。言霊がある。言った言葉は真実になる。跳ね返ってくる。人を呪わば穴二つ。霊魂などない。呪いなどない。しかしそれでも言霊はあるのだ。ずっと昔からあったのだ。言霊は真実である。口にした言葉は多かれ少なかれ真実となる。例えば「死にたい」と言えば死にたくなる。「もうだめだ」と言えばもうだめになる。言霊は真実である。「俺は大丈夫だ」と言う。これは真実にならない。「俺は大丈夫だ」と言った瞬間、俺は「果たしてそうなのか?」と思う。「死にたい」や「もうだめだ」はびた一文疑いやしない癖にポジティブな言葉に対しては「果たしてそうなのか?」と思う。これもまた言霊だ。口にしてはいけない領域というものがあるのだ。そこに足を踏み入れると必ず祟りがある。かくして、ネガティブなことを言ってもポジティブなことを言っても、すべての言葉は言霊に回収されてしまい我々に災厄をもたらすのであった。

なるほど迷信は馬鹿にできない。

ならば僕にできることはもはや迷信を作るのみである。嘘を言い、心にもないことを言い、言い続け、そんな調子でもし十年後も言い続けてる嘘があれば、それは最早迷信だ。

なるほど迷信は馬鹿にできない。そんな嘘ばかりついていこう。

そしてもしもそんな迷信を真に受けた人がいたのならば、やっぱりちょっとだけ本当のことを言ってみよう。