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「それ見たことか」という展開を望む呪い

楽天イーグルス優勝おめでとうございます。そういえばでも何でもないのですが東北地方を本拠地とするプロ野球チームというものは楽天が初めてであり、当然東北を本拠地としたチームが日本一に輝くというのも初めてのことであり、熱狂するホームのファンの様子をテレビなんかで眺めていると素直によかったよかったなどと思いました。

一方で気に掛かるのがマーくんこと田中将大投手の連投の是非についての話題です。始めに断っておくと、僕自身は野球に関してはてんでの門外漢になりますのでその是非の本当のところについては語りえません。程度問題として許容されるべき範疇のものなのか、当人の選手生命のことを長期的な視点から考えるのであればやはり投げさせるべきではなかったのか、僕にはさっぱりです。強いて言えばどっちの言ってることもわかる。それが当人にとって強い負荷であったとしてもファンとして「やっぱりその方が燃える」というのも分かるし、当人が「投げたい」と思っちゃうのもわかるし、そういうの踏まえて監督がああいう采配をしたくなっちゃう気持ちというのもまぁ分かる。もちろん一方でマーくん選手さんの将来を慮って今回の采配はどうなんだと疑問符を剛速球で投げつけたい人がいるのもまぁ分かる。両方気持ちはわかる。そのうえでのお話です。

ちなみに此度のマーくんの件でいうと自分の視界に入る範囲でのネットの声を見ていると、どうも今回は「投げてよかった派」の数の方が優勢のように僕には思えた。それが気に食わないという話では全くないのだけれども、例えば甲子園で同じような話題が出た時に比べると「投げさせるべきではなかった派」に元気がないというか居心地悪そうな感じが漂っているように見える。そうなっている要因としてもちろん程度問題で考えた時に甲子園なんかに比べると全然負荷かかってない、二日連続百五十球投げ込んだとかそんなあからさまにクレイジーな話ではないというのもあるけれど、それ以上にやはり気分的には最高の形で優勝したという事実が先立っているのが大きい。「みんな気分良く優勝を喜んでるのに水を注すんじゃねぇ」と言われると確かにごもっともで口を噤む理由としては十分だ。しかしそれはあくまで口を噤んでいるだけであって「投げさせるべきではなかった派」は改宗なんかする気はサラサラなくて、ただ今回は現状で分が悪いので口を噤んでいるに過ぎないのであろうなとかそんなことを僕は考えていた。

対立するべき論が結果をもってどちらかに軍配があがってしまった場合、負かされたべき論はどうすればいいのだろう。たぶん自陣に都合のいい結果が起こることを願うような気がする。これはとても意地の悪い話だ。

断っておくが僕は言霊や呪いの類を真に受けているタイプの人間ではない。遠方の方々がどれほど僕を憎らしく思ったところで実質的なアクションが伴わなければ僕自身には何の影響もないだろう。しかし誰の目にも触れていなくともトマトはどこかで今日も赤いように、影響があろうとなかろうと憎む気持ちはまた確かにあるところにはあるのだろう。まぁ、何が言いたいのかというと今回の件で「水を注すな」と押さえつけられた声の中には、今後心のどこかで田中選手の故障を願う人もいるんだろうなという話である。願うとなると相当に意地が悪いけれども、田中選手の不調の報を聞いた時に「おっ」とやや前のめりになってしまうようなところってこれ人間少なからずみんなあるんじゃねぇかなと思うのだ。繰り返すがそんな風に考える人がいるからといって田中選手に何の影響もないのだけれど、そういう風に考える人がいること自体、そういうのも一定数いて仕方ないよねという前提で色んなことに白黒がついていること自体、なんだかやるせないよなぁとか何だかそういう取り止めもないお話でした。別にこの件に限らず自説を補強するような不幸な出来事を望んでしまうところって普通に生きててしょっちゅう見かけますし、それは人間というのがそもそもどうしようもなく卑しい生き物であるからなのか、この世界の人間の潜在的卑しさを引き出すポテンシャルがズバ抜けているからなのかは定かではありませんが、逃げ切れないもんかなぁどうにも逃げ切れんなぁとかそんなことを時折考えます。結論は特にありません。以上です。