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【再掲】意味よさらば

とあるメーカーに勤めるごくごく普通のサラリーマンである島田が島田たる所以はどこにもなく、島田に関わるあらゆる表現は島田と書いてある部分を高橋に書き換えても成立することに島田は気付いてしまった。そんな高橋もいるだろう。そんな島田もいるだろうと思う高橋もいるだろう。そう思った瞬間島田の物語はたちまちに瓦解した。島田が今日まで従えてきた一切は支離滅裂に切り裂かれてしまったのだ。今、島田のもとに残されているものはそれだけでは何の意味も持たぬ言葉達だけである。しかし、その言葉に意味を与えてやる物語を島田は持たぬ。 立ち尽くす島田が空を二つに割る飛行機雲を見つけると島田の左鼻の穴からもう1本の飛行機雲が、やがてその雲はシベリアンハスキーへとその姿を変え、ニャーと鳴いた後ダッフンダの顔をした。

 肝臓の裏からボルビックあるいはクリスタルガイザーがポタリと落ちるような感覚に襲われた島田がそれを拭おうと黒いハンカチーフを取り出したトレンチコートの黒はパンダの黒い部分より黒かった。しかし、カラスよりは黒くなかった。 もはやカラスが黒くあろうとも白くあろうとも意味が生まれてしまうことを察した何者かは一切を唐草模様とした。 唐草模様のみでありながら依然としてシマシマに見えるシマウマに跨がると島田はベレー帽を弁当箱に詰め込んだ。本来弁当箱に入っているべき日の丸弁当は防波堤の際で波に揺れ、寄せては返している。地震だ。正月だ。今年の干支を当てるギャンブルに参加した富豪達は一人残らず津波に飲まれた。1番人気はBoA年でオッズは2.2倍であった。こうしてマザーテレサの助言により昭和太郎に改名したチェ・ゲバラは島田を快く歓迎した。歓迎会もした。自分達が夜も寝ずに作り続けた折り紙の鎖に縛られ、黒人たちは唇を強く噛み声を殺して泣いている。フルーツバスケットの一悶着がきっかけで決別した島田と昭和太郎がラフレシアの匂いを放ち出すのはそれから10年後のことであったと遠い目で語る祖母の姿を幼きチェ・ゲバラは生涯忘れることはないだろうとランプの精は予想する。

 島田は目を覚ました。 布団を跳ね退け跳び起きると叫んだ。 「次の3つのうち亜細亜的じゃないものはどれでしょう?イワシ、サバ、カツ!」 その時地球の裏側でイクラって宝石みたいだな、と不意に思った篠原涼子はその言葉をそのまま手帳に書き留めた。2012年12月24日まで、あと4年と2日の日のことである。おそらく優香は30手前くらいである。そして元素記号も子役専門のプロダクションも知ったこっちゃなかったのである。ラドン桃子という子役はこの世にいないと決め付けているのだ。

 もはや物語に服従する必要もなく、島田の心情を表現する義務からも開放された言葉は自由に無意味に無計画に羅列される。うんこ☆うんこ☆うんこ。しかし、果たしてこれらの言葉は本当に自由なのであろうか。否。意味は既に前文により問われた。言葉は今再び囚われたのだ。従属すべき主を無くした言葉はそこでまた囚われ、また主の下に帰属しつつある。いや、言葉はずっと囚われたままであった。始めからずっと。それが堪らない。意味を語る無意味さも何の意味も持たぬ沈黙も堪らない。逃げる逃げる言葉は逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。逃げた。逃げ切った。逃げ切る。逃げ切って。逃げ切れば。逃げ切る時。違う。全然おもんない。いや、おもんなくていいのだ。いいとか悪いじゃないんだ。じゃないとかじゃなくないとかじゃないんだ。こういうことではない。自由とはもっと。もっと…。もっと……。もっと………。

 島田は元気のいい吹奏楽部の演奏(狙い撃ち)に合わせて腰を振りながらバッターボックスに入ると、レフトスタンドに向かってフランスパンを掲げ、叫んだ。 「鬼門!」 次の瞬間ゲリラ豪雨に見舞われたぼっちゃんスタジアムは島田のパフォーマンスと雷雨のせいでいきなり9回裏2アウト満塁のテンションだった。そうして落雷と共に現れた竜の背中に跨がった島田は鬼門から遠い方遠い方に向かい空を翔けたのであるが島田の背後はもちろん依然として鬼門の方角だった。やがてアフリカに到達した竜は島田を飲み込むと落雷に撃たれ粉々に砕けた。 雨があがると粉々に砕けた竜の破片は無数の島田となった。正確には島田という名のインパラとなった。無数の島田インパラはしばらくみなそれぞれ勝手に草を食べていたがやがて肉食獣に狙われている気配を察して散り散りになった。ライオンが喰う。ワニが喰う。チーターが喰う。ハイエナが喰う。喰われる喰われる島田が喰われる。やがて血となり肉となり、土に還って草木を育てる。角は裸族のオシャレとなる。命は命を産みまた更なる命を育んでいくだろう。島田は今、地球という命と一体になったのである。グッバイ島田。

 こうして島田の物語は幕を閉じた。しかし喉笛に喰いつかれるインパラの流す涙は一体何を意味していたであろうか。あれは、存在の意味を得た歓喜の涙であったのか、あるいは別の物語に組み込まれるしかなかったことへの無念の涙であったのか。その涙は果たして誰の涙であったか。島田の涙か、あるいは。いや、答えはわからぬ。なぜなら島田の物語を語り終えた今、言葉はここで途絶え沈黙する他ないのだから。言葉はもはや何も語れぬのだから。

 なお、あの涙をカレーライスに一滴垂らすと味がすごいまろやかになる。