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血液型性格診断というお約束とどう付き合うか型性格診断

AB型の構造主義的性格と、心のつかみ方

http://rem-nanai.hatenablog.com/entry/2013/11/09/080114

AB型は表面に本心を見せない?その特徴と構造主義

http://nogutyo.hatenablog.com/entry/2013/11/13/073000

【雑記】性格は血液型で決められる

http://honeshabri.hatenablog.com/entry/blood-type

上記一通り読んだんでなんか書きますね。

えーととりあえず僕の立場を先に明言しときますと、「血液型性格診断は何の根拠もない」なんですね。僕個人で言うと、血液型の話で他人への評価がポジティブな方向、あるいはネガティブな方向に加速するということはまずないですね。分かりやすいところでいうと「あいつはやっぱりB型だったのか、どおりでいけ好かないわけだぜ」とかそういうのはまずないですね。かと言って「血液型性格診断はデマだぜ!そんなん信じてんじゃねぇよ糞が!」って立場でもないです。何故ならば読める空気をあえて読まずに【我】を通すのはめんどくさいですし、血液型性格診断の真偽はそもそも俺の【我】ではない。詰まるところそいつのせいで実害を受けた記憶があまりない。なのでどっちでもいい。俺がどっちでもいいのに対して世間では「ある」ということになっている。じゃあ「ある」前提で喋ってもいいかな、俺の中にあるその他の誠実に抵触しない限りには。伊集院光さんは霊的なものを一切信じてないけど「怖い話」を聞いたり喋ったりするのは好きらしいです。俺の血液型性格診断に対する立場も大体そんな感じです。

PCでこのブログを見るとこれのすぐ下にプロフィール欄があると思うんですけど、そこに「てめぇ、AB型の妻と慎ましく暮らすAB型、って明記してんじゃねぇかどういう了見だ!」って言う人も出てこないことはないと思うんですけど、「好きな色は赤です」って書いてるの見て「そうか、お前は情熱的なやつなんだな!」つって肩組んでくるテンガロンハット被った太った白人は客観的に見て結構キツいよな、という話になるのかなと思います。まぁわざわざ書いてるんで血液型性格診断がこの世にあるということは当然踏まえてますけどね。単純にラクってのがあります。ズイショさんの戸籍謄本にはズイショさんとズイショさんの嫁が載っているわけですが、その二人ともがAB型であるということはこれ事実です。俺は事実を書いたまでです。ただそれによって読む側の受け取り方によっては勝手にある種の誤解をされますよね。AB型のイメージとして「ああ、なんか気難しいのかな」みたいなあると思うんですけど、そう思われとくくらいが俺にとってシンプルに都合が良いわけです。嘘の一つもつかずに事実だけで俺にとって有利なイメージを恣意的に持たせる可能性があるとかこれはもうお得感ありまくるので回転寿司で祝いたいレベルでお得なのでそう書いてます。

僕のこのスタンスの根底にあるのはまぁ僕に不利な言い方をすると「まんざらでもない」、有利な言い方をすると「たまたま一致しているので支障がない」という形になります。実際これたまたまAB型だったから良かったものの僕が他の血液型だったらもうちょい叩く側に回ってたような気がする。僕はテキトーにやらないとヤバいことになるクリティカルな部分以外に関してはとことんテキトーで雑で管理しない性格なので「おまえA型なのに何なんだ」とか言われるとだいぶキツいですし、B型だったら何をトチっても「これだからB型は」と次回もトチる前提で評価されるでしょう。やりたくないことはできない病気を物心つくかつかない頃のオタフク風邪と並走して発症してるんですけどオタフク風邪治ったもののもう片方は未だに治ってない。これを以って「これだからO型とは一緒に行動しとくねぇんだよ」と思われる可能性は多分にあるわけです。そう考えるとAB型でラッキーだったなーとかは思うんですね。いや、AB型ゆえに変な評価されてる可能性はあるんですけどまぁそれも妥当なマイナス評価である可能性が高いように思われるので別にいいか。

まぁこういう書き方してると「ほら、そうは言いつつもお前の考え方はAB型そのものだ!血液型性格診断は当たる!」って思う人も出てくるなとも思うんですけど、因果関係はよくわからないんで、自分はたまたま一致してたってだけの話なんだと思います。刷り込みとかは無きにしも非ずなんでめんどくさいんですけどね。「お前はAB型だから」という子供や大人が俺の子供の頃にいたかいなかったかでいうといたしね。そういうのの影響も無いとは言えないんでややこしいですけど、そんな率先して次世代に語り継ぐような大事なものではないですよね。O型だからお前はおおらかでマイペースだ!とか時代錯誤も甚だしいですよ。そんなもんあなた、天皇の息子は次期天皇だ!って言ってるみたいなもんですよ。それは天皇か。ごめん今の忘れて。

終始言えるのは、「自分に害が無い」ので別にそんな躍起になって否定しにかからないし血液型性格診断ありきの話をしたい人は好きにすればいいんじゃないかなってところなんですけど、でもこういうのも良くないのかなぁ。世の中の大体の話題そうですけど、マイノリティが不当に叩かれてるのを自分関係ないから放置しとくのは明日は我が身だぞ、みたいな考え方があるわけじゃないですか。それこそAB型とAB型の間ってO型以外全部生まれる可能性あるんでしょ?B型とか生まれちゃったら我が子を守るためにもう少し考え方変えたほうがいいかもわかんないよね。いやでもそうなったら「お前はAB型だ」とだけ言っておけばいいか。それが一番ラクだな。血液型性格診断による偏見は駄目だ!って主張するよりは子供が事故った時本人がAB型だと主張しても救急隊員の人はそれを鵜呑みにせずにちゃんと血液型を調べてから輸血してくれるかどうかをググった方が絶対効率良いような気がするよね。いや実際問題血液型性格診断のせいで酷いメにあってる人とかたぶんそこらじゅうにいるしね。B型だから面接で落ちた人とかいるかもしれないし、A型ってだけで飲み会の幹事をやらされてる人とか別に全然いると思うんで、過信は禁物というかそもそもデマなので基本的に良くはないんだろうとは思いつつ。

最後になりましたが、一人ツッコミ忘れてたんですが、たぶんですけど戸籍謄本に血液型を表記する欄は恐らくないです。以上です。

幽霊に出会ったその日から幽霊がすべてを支配する

生後5日の女児を包丁で… 「子育ての自信なかった」殺害容疑で母親逮捕 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131106/crm13110618340026-n1.htm

読みました。

このような性質の事件を目にした時に自分に言えることというのは驚くほど少なく、片手で足りるかなと緩く握った拳をじっと眺めていたがついぞ指は一本も上がらなかった。

そういうわけでいつもどおり全然関係ない話をします。

今日たまたま妻との世間話のなかで幽霊や祟りなどといったオカルトにまつわる話題があった。とある知人がある日を境に怪現象に怯えるようになってうんたらというそれ自体は在り来たりな話だったのだが、自分が当事者だったらと考えるとなかなか退っ引きならない話であるなと思い、何だか空寒い気分になった。

今、自分が幽霊を信じていようと信じていまいとどころか、この世に実のところ幽霊が存在していようと存在していなかろうと、もし私がその幽霊の存在を「実感」してしまったその瞬間、きっと私の生活も思考も何もかもはその知人と同様に幽霊が中心となってしまうのだろう。支配されてしまうのだろう。昨日までのおばけなんかないさの気分なんぞどこ吹く風で、たった一度の実感が私の視界を一変させ私の注意のリソース分配をよっぽどめちゃめちゃにしてくれるのだろう。

そこらへんは幽霊も不安も理屈は一緒なのだろうと思う。僕が今持っている自殺しない気分が明日何事かによって忽ちに気のせいにされない保証はどこにもない。それに対する解決策もない。ただ死にたい気分の足音が聞こえやしないかとびくびくと怯えながら、もしかするとそれに抗う切欠になるやもしれぬ細々とした些細な良い「実感」を、日々の生活の中で拾い集めるのみだ。

「それ見たことか」という展開を望む呪い

楽天イーグルス優勝おめでとうございます。そういえばでも何でもないのですが東北地方を本拠地とするプロ野球チームというものは楽天が初めてであり、当然東北を本拠地としたチームが日本一に輝くというのも初めてのことであり、熱狂するホームのファンの様子をテレビなんかで眺めていると素直によかったよかったなどと思いました。

一方で気に掛かるのがマーくんこと田中将大投手の連投の是非についての話題です。始めに断っておくと、僕自身は野球に関してはてんでの門外漢になりますのでその是非の本当のところについては語りえません。程度問題として許容されるべき範疇のものなのか、当人の選手生命のことを長期的な視点から考えるのであればやはり投げさせるべきではなかったのか、僕にはさっぱりです。強いて言えばどっちの言ってることもわかる。それが当人にとって強い負荷であったとしてもファンとして「やっぱりその方が燃える」というのも分かるし、当人が「投げたい」と思っちゃうのもわかるし、そういうの踏まえて監督がああいう采配をしたくなっちゃう気持ちというのもまぁ分かる。もちろん一方でマーくん選手さんの将来を慮って今回の采配はどうなんだと疑問符を剛速球で投げつけたい人がいるのもまぁ分かる。両方気持ちはわかる。そのうえでのお話です。

ちなみに此度のマーくんの件でいうと自分の視界に入る範囲でのネットの声を見ていると、どうも今回は「投げてよかった派」の数の方が優勢のように僕には思えた。それが気に食わないという話では全くないのだけれども、例えば甲子園で同じような話題が出た時に比べると「投げさせるべきではなかった派」に元気がないというか居心地悪そうな感じが漂っているように見える。そうなっている要因としてもちろん程度問題で考えた時に甲子園なんかに比べると全然負荷かかってない、二日連続百五十球投げ込んだとかそんなあからさまにクレイジーな話ではないというのもあるけれど、それ以上にやはり気分的には最高の形で優勝したという事実が先立っているのが大きい。「みんな気分良く優勝を喜んでるのに水を注すんじゃねぇ」と言われると確かにごもっともで口を噤む理由としては十分だ。しかしそれはあくまで口を噤んでいるだけであって「投げさせるべきではなかった派」は改宗なんかする気はサラサラなくて、ただ今回は現状で分が悪いので口を噤んでいるに過ぎないのであろうなとかそんなことを僕は考えていた。

対立するべき論が結果をもってどちらかに軍配があがってしまった場合、負かされたべき論はどうすればいいのだろう。たぶん自陣に都合のいい結果が起こることを願うような気がする。これはとても意地の悪い話だ。

断っておくが僕は言霊や呪いの類を真に受けているタイプの人間ではない。遠方の方々がどれほど僕を憎らしく思ったところで実質的なアクションが伴わなければ僕自身には何の影響もないだろう。しかし誰の目にも触れていなくともトマトはどこかで今日も赤いように、影響があろうとなかろうと憎む気持ちはまた確かにあるところにはあるのだろう。まぁ、何が言いたいのかというと今回の件で「水を注すな」と押さえつけられた声の中には、今後心のどこかで田中選手の故障を願う人もいるんだろうなという話である。願うとなると相当に意地が悪いけれども、田中選手の不調の報を聞いた時に「おっ」とやや前のめりになってしまうようなところってこれ人間少なからずみんなあるんじゃねぇかなと思うのだ。繰り返すがそんな風に考える人がいるからといって田中選手に何の影響もないのだけれど、そういう風に考える人がいること自体、そういうのも一定数いて仕方ないよねという前提で色んなことに白黒がついていること自体、なんだかやるせないよなぁとか何だかそういう取り止めもないお話でした。別にこの件に限らず自説を補強するような不幸な出来事を望んでしまうところって普通に生きててしょっちゅう見かけますし、それは人間というのがそもそもどうしようもなく卑しい生き物であるからなのか、この世界の人間の潜在的卑しさを引き出すポテンシャルがズバ抜けているからなのかは定かではありませんが、逃げ切れないもんかなぁどうにも逃げ切れんなぁとかそんなことを時折考えます。結論は特にありません。以上です。